存在文の補語

久しぶりに次の存在文に出会いました( English Listening and Speaking Patterns 2, p. 60)。会話でも使用される文ですが、あまり基礎的文法書では扱っていません。

Are there any good movies playing?

おもしろい映画やっているかな。

文尾の playing はこの文脈では前の名詞についているのではありません。この構造は

There is a good movie playing at the nearby theater.

近くの劇場でおもしろい映画をやっている。

のような文を疑問文にしたもの(訳は引用者)です。

これは、このような不特定なものの存在を表す場合の構文で、主語が特定のものを指す場合は、後に出てくる

It’s playing at the nearby art theater. (p. 60)

のように、ふつうは存在文にしません。(it は上映中の映画を指しています。この文での play は自動詞で「上映/上演される」。)

もちろん分詞が形容詞修飾として前につく場合もあります。ハドルストン(Huddleston)とプラム(Pullum)の文法書The Cambridge Grammar of the English Language から例をとると(以下同書の翻訳書から)

There are [specimens measuring over twelve inches in length].

長さが12インチを超える標本があった。(p. 66)

では後ろの分詞句は前の名詞の修飾要素となっています。先に挙げた文では分詞は動詞と関係している構造で、分詞的拡張として説明されます。これは過去分詞でも同様に、存在文(「There + be 動詞 + 主語 ~. )ではない文(p. 66)と対応しています。

Some boys were playing cricket. 

There were some boys playing cricket. 

Several people were killed.

There were several people killed.

一般にそれぞれ上の非存在文では、進行形と受動形とともに情景描写的ですが、下の文は存在を意識しています。

ここでこの拡張ですが、この変形は次の補語をもつ文からの存在文と並行しています(「叙述的拡張」p. 64)。

Two delegates were absent.

There were two delegates absent.

いわゆる拡張形としての進行形、受動形は、be 動詞の意味が希薄化し機能化したため、中心的意味を分詞にもっていく(したがって be を助動詞扱いする)という一種の技術的解釈ですので、分詞の本来の役割(形容詞)を考えるなら、次のように分詞句は補語と考えることができます。

Some boys were playing cricket. 

Several people were killed.

したがって、存在文は次のように第1文型と第2文型の2種類を考えるのが合理的かと思われます。

場所的拡張

A friend of yours is at the door. 

  ↓

There’s a friend of yours at the door.

There + be 動詞 + 主語 + 修飾語.

分詞的拡張

Some boys were playing cricket. 

  ↓

There were some boys playing cricket. 

There + be 動詞 + 主語 + 補語.

ただし、この「分詞的拡張」形は頻出するわけではないようですので、基本5文型を扱う基礎を学ぶ段階では説明するのは煩雑かと思います。しかし、どこかでその機能を説明することも求められるかもしれません。"-_-"

引用文献:

Andrew E. Bennett, English Listening and Speaking Patterns 2 , Nan’un-do, 2017.

ハドルストン(Rodney Huddleston)・プラム(Geoffrey K. Pullum)、保坂道雄ほか訳『情報構造と照応表現』(「英文法大事典」シリーズ 第9巻)、開拓社、2020年

22 Jan CIMG3858